いぬとさんぽ

本島ヒデオと犬の日々

喋らなくてもいいから、いい

こんばんは。まだまだ暑い日々が続いておりますが、いかがお過ごしでしょうか?

 

僕が住む群馬県も緊急事態宣言が発令されており、不要不急の外出を控えた生活が続いています。

 

だけど、不要不急の外出ができなくなってしまった今の状況、苦しんでいる人もいれば、そうでない人もいると思います。

 

僕も、コロナが流行る前の時代は音楽活動やイベント活動をたくさんやっていましたので、週末はほとんど出歩いていましたが、コロナが流行りいろんなイベント事が中止になり、会食等もしなくなり、すっかり家に引きこもる生活になってしまいましたが、考えてみれば僕は元々引きこもり人間でしたので、なんだか昔に戻ったような気がして妙に落ち着いています。

 

そして、無駄に外出しなくなった現在、唯一定期的に外出している事といえば「仕事」と、そして「犬の散歩」です。

 

ここで一つ、言っておかなければならない事がありますが、僕は特に動物好きでも犬好きでもありません。

 

だからと言って、別に嫌いなわけでもなく、ただ単にこの地球という星で共に生きている生き物という、特にプラスでもなければマイナスでもない存在でした。

 

悪い言い方をしてしまえば、動物には特に興味ありませんでした。

 

だからこそ、この今の状況は全く予想だにしない状況です。

 

だけど、なぜか、不思議と犬との生活は心地がいいものです。

 

なぜなんだろうといろいろ考えましたが、その理由の一つとして挙げられるのは、「言葉が通じない」からなんだろうと思います。

 

言い方を変えれば「言葉を必要としない関係」「言葉がいらない関係」です。

 

いや、どんな動物とも会話ができるわけないし、そんな事は当たり前だろと言われてしまいそうですが、思い返してみれば、僕は物心ついてから動物を飼った事がありません。

 

大きくなってからは音楽を始めて、そのおかげでたくさんの人と知り合い、関わり合い、いろいろなコミュニテイに所属しました。

 

歌もそうだし、ラジオもそうだし、とにかく「言葉」というものが重要な世界にどっぷりと浸かっていました。

 

だから、こうして言葉を必要としない相手と一緒に生活をしているのはとても新鮮であり、安心するのだろうと思いました。

 

思えばこの世の中、言葉が溢れかえっている。

 

もちろん、言葉は重要なものであり、生活するにも仕事をするにも必要なものだと思います。

 

だけど、ちょっと言葉が溢れすぎている気がする。

 

言葉の無駄遣いが多すぎる気がする。

 

僕も言葉を上手に使える人間になりたいと思う。

 

 

さて、このブログ自体が言葉の無駄遣いだと言われてしまいそうなので、今日はこの辺で。