いぬとさんぽ

本島ヒデオと犬の日々

その日の次の日

まさか、このブログをご飯を食べながら読んでいる人はいないとは思いますが、

もしも、お食事中の方がおりましたら、また後で読んでいただきたいと思います。

 

さて、今日のテーマはこれです。

 

「ウ○チ」

 

そう、犬の散歩とウ○チは切っても切り離せない関係です。

 

犬の散歩は、犬にウ○チをさせるためにしていると言っても過言ではないと思います。

あと、オシッコね。

 

ラオは、最初の2日間くらいはうちの庭でウン○をしていましたが、その後は散歩にしばらく行けないような日を除いて、うちの庭ではオシッコもウン○もしません。

おそらく、うちの庭を自分の家だと認識したのだろうと思っています。

 

ラオは必ず家以外のどこかの草むらで○ンチをするのです。

 

しかし、私はその逆なのです。

 

家のトイレでウ○チをしたいのです。

 

それなのにです。

 

それなのにそれは急にやってきました。

 

ラオの散歩に出発してから20分ほど経った頃でしょうか。

田んぼ道を歩いてる最中に急な便意に襲われたのです。

 

30歳を迎えたあたりから、私の腸は急激に弱くなってしまいました。

前の晩に辛いものなどを食べた翌朝は必ずお腹が痛くなり、急な便意に襲われるようになってしまったのです。

しかも、その便意が一刻を争うような便意なのです。

 

そのせいで、通勤途中に漏らしそうになったことが2、3回あります。

幸い近くにコンビニがあったため事無きを得ましたが、今回は違います。

 

今歩いているのは田んぼ道。

近くにコンビニなどあるわけがありません。

 

いつも通りの一刻を争うような便意です。

昨日の夜に辛いものを食べた記憶はありません。

それなのに便意が急に襲ってきたのです。

これはもう、朝の寒さにやられたとしか思えません。

 

しかし、今は原因を追求している場合ではありません。

とにかく家に帰らなければ。

 

だけど、ここは家から歩いて20分の田んぼ道。

急いで帰っても15分はかかるだろう。

 

しかし、今は迷っている場合ではありません。

とにかく家に帰らなければ。

 

その日はたまたま妻も一緒に犬の散歩をしていたため、妻にラオをお願いして、私はラオのウ○チ袋を持って家に向かい始めました。

 

急いで帰りたい。走って帰りたい。

だけど、走ると体に衝撃が与えられ余計まずいことになってしまう。

 

ここは静かに歩いて帰らなければ戦いに勝つことはできないだろうと思い、焦る気持ちを押し殺して歩いて家に向かいました。

 

犬はいいな。

どこでもウ○チできて。

 

人間はそうはいかない。

 

しかし、もう限界は近づいてきている。

家まで我慢できる自信がまったくない。

 

どこかの草むらでやってしまおうか。

時間は朝の6時過ぎ。人通りは少ない。

 

やったら犬のウ○チのように拾えば大丈夫か。。。

幸い、左手にはラオのウ○チ袋を持っている。

右手にはウ○チを拾うための専用のスコップも持っている。

 

ん?まてよ?

 

だったら直接袋の中にやればいいんじゃないか?

袋を開けて直接お尻にくっつければいいだけだ。

これなら一瞬で事は済むはずだ。

 

よし、もうやるしかない・・・

 

 

 

 

 

 

 

 

 

・・・いや、ダメだ!!

それだけはやっちゃダメだ!!

 

もしもそんな姿を誰かに見られてしまったらどうするんだ!!

もうこの町では生きていけないぞ!

 

そうなったら家はどうするんだ。

まだ住宅ローンが30年以上残ってるんだぞ。

 

妻のお腹には子供がいるんだ。

来年には父親になるんだ。

再来年には40歳になるんだ。

そんな世間的には“大人”と呼ばれる人間が草むらでウン○などしてはダメだ!!

 

そんな葛藤を頭の中で繰り広げながら僕は必死に頑張って歩いた。

何度も何度も負けそうになりましたが、その度にお尻に力を入れて頑張りました。

頭の中ではZARDの『負けないで』がいつの間にか流れていました。

 

そして、ついに、

無事ゴールしたのです。

 

本当に、本当に、よく我慢できた。

トイレに入って全てを開放したあの時の気持ち。

僕はきっと一生忘れないだろう。

 

そして、今回の戦いの何よりもの勝因は、その日たまたま散歩についてきてくれた妻にラオを預けられて、歩くことに集中できた事。これが大きかったと思うのです。

 

思えば、妻がこの日散歩についてきたのは、前日の夜、ラオが原因不明の元気ない状態になってしまったからでした。

 

ラオが寂しがっていると察した妻が、また明日から一緒に散歩に行こうと決めたのです。

 

ん?

 

ちょっと待てよ。

 

もしかしてラオは、この事を分かっていたのかもしれない・・・。

 

次の日の朝の散歩で、私がウ○チを漏らしそうになることを。

それを分かっていて、昨日の夜、わざと元気がないようなフリをして、妻も一緒に散歩に行くように仕向けたのかもしれない。

 

おいおいマジか。

 

やるじゃねぇか。

 

さすが未来からやってきたターミネーター犬だ。

 

その日

よし、吠えない。

いい子だ。

 

その日、妻と一緒に帰ってきたのは夜7時。

すっかり季節は秋となり辺りはもう真っ暗だ。

 

暗い家の庭で留守番をしているのはとても寂しいことだろう。

いつもなら車のヘッドライトに照らされた瞬間に吠え出すのだが、その日は吠えなかった。

 

よし、えらいぞ!

ラオ!

 

夕方の散歩は、3軒となりの奥さんに行ってもらった日だったので、散歩に行きたい欲はなかったのだろう。

 

この3軒となりの奥さん、仮にAさんといたしましょうか。

Aさんは動物好きで、ラオを拾ってきた時から時々散歩に連れて行ってくれていた。

 

今や、夕方の散歩の半分くらいはAさんがしてくれている。

平日はどうしても仕事で帰りが遅くなってしまうので本当に助かっている。

 

その日もAさんが散歩してくれていた。だから吠えなかったのだろう。

 

動物だから仕方ないことではあるのだけれど、やはり無駄に吠えることはやめてほしい。

ご近所に4軒の家があるので、あまりにも無駄に吠えることは近所迷惑になってしまう。

 

吠えるタイミングはだいたい1日2回。

朝5時の散歩に行くタイミングと、仕事から帰ってきた夕方のタイミングだ。

 

その度に、「ダメ!」としつけをしていたが、そう簡単には分かってくれない。

 

だけど、その日は吠えなかった。

やはり、しつけをすれば犬も成長するのだろう。

 

よし、えらいぞ!

ラオ!

 

車から降り、ラオの横を通るが、やはり吠えない。

 

本当におりこうさんだ。

 

飼い主には吠えない。

知らない人には吠える。

 

これが理想の番犬だ。

「立派な番犬に成長したな。」と感心しながら家に入り、電気をつけた。

 

このタイミングでもよく吠える事がある。

 

だけど、その日は吠えなかった。

 

よし、えらいぞ!

ラ・・・

 

・・・違う。

 

なんか違う。

 

吠えなさすぎだ。

 

というか、吠える吠えない以前にまったく動かない。

伏せたまま、まったく動かない。

 

外に出て呼んでもまったく近づいてこないし、こっちを見ようともしない。

 

首輪を引っぱり立ち上がらせてみるけど、すぐに伏せてしまう。

 

おかしい。

何かがおかしい。

 

試しに妻がおやつをあげてみた。

いつもなら興奮して暴れまくるのだが、全くテンションが上がらない。

一応食べたけど、元気がまったくない。

 

おかしい。

やっぱりおかしい。

 

思えば伏せてばかりいる。

いつもなら近づいてきておすわりするはずなのに・・・。

 

ん?

そういえば、おすわりをしない。

 

さっきから一度もおすわりをしていない。

 

ラオは拾ってきたときからおすわりだけは得意だった。

何も言ってもないのに勝手におすわりしてしまうほどだった。

 

そんなラオがおすわりをしない。

 

おかしい。

絶対におかしい。

 

僕ら夫婦は事の重大さにやっと気づき、急に慌てはじめた。

 

妻は夜間にやっている動物病院を検索し始め、

僕は「犬 おすわりしなくなる なぜ?」で検索をし始めた。

 

その結果、夜間にやっている動物病院は近所にはないという事と、少し遠くにあったとしても夜間救急のため診察代金が高額である事が分かった。

 

そして、今までおすわりできていた犬が急におすわりしなくなるのは、肛門が何らかの原因で痛くなっている可能性があるらしいという事が分かった。

 

そもそも、いつからこうなったのか?

夕方の散歩のときは元気だったのだろうか?

 

夕方の散歩に行ってくれたAさんにLINEで聞いてみた。

 

「いつも通り元気だったよ〜」

と返信が来た。

 

夕方の散歩はおそらく今から1時間前くらい。

そんな短時間で、こんなにも元気なくなってしまうことがあるのだろうか。

その1時間のうちに、肛門にいったい何が起こったのだろうか?

 

どうしよう・・・。

 

やはり動物病院に連れて行ったほうがいいのだろうか?

 

どうすればいい・・・。

 

・・・

 

んー、よし!

動物病院行こう!

 

と思ったそのとき、庭の向こうに何やら人影が現れた。

 

ん?

・・・Aさんだ。

 

Aさんが心配して見に来てくれたのだ。

 

その瞬間だった。

 

今までぐったりと伏せていたラオが急に立ち上がったのだ。

そして急いでAさんのもとに近寄り、しっぽを振って、しまいにはおすわりをした。

 

・・・

 

えーーーーーーーーーーーー!!!

 

おいおい、嘘だろ。

 

Aさんに「あれ??いやいや、さっきまで全然元気なかったんですよ!本当なんですよ!」と必死に伝えたが、ラオはもうすっかり元気になり、いつものラオに戻っていた。

 

そういえば、さっきネットで検索したときに、“犬にも反抗期がある”という記事をちらっと見たのを思い出した。

今までできていた事をしなくなったときは、飼い主に対して反抗している可能性があると書いてあった。

 

「全然家に帰ってこないこんな飼い主よりも、散歩に連れて行ってくれるAさんのほうが好きだ!」

 

という意味だったのだろうか・・・。

 

妻が「なんか、フラれた気分・・・」とつぶやいた。

 

最近は僕一人で散歩に行っていました。

妻はその事も引っかかっていたようで、「明日からまた一緒に散歩行こう。」と言いました。

 

結局、なんだったのだろう。

 

実際、肛門が痛くなることはあるそうなので、引き続き肛門には注意していきたいと思う。

 

そして、今までたくさんブログを書いてきたけど、こんなにも「肛門」という字を打ち込んだのは初めてだ。

 

そういえば、庭にAさんが現れ、ラオが近寄って行ったあの瞬間、Aさんがまるで“水戸黄門”のように見えた。

 

という文章は、ここではまったく必要のない文章でした。

 

では、また。

 

命名

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「ラオ」

 

犬の名前です。

 

うちの犬は保護犬ですので、名前をつけていいものかどうかという感じだったのですが、さすがにこれだけ一緒にいて名前で呼べないというのは他人行儀すぎて不自然でしたので、一応仮で名前はつけました。

 

命名したのは僕です。

 

ラブラドールのオスなので、「ラオ」です。

 

最初は男らしくカッコいい感じで「ラオウ」と命名しましたが、ラーメンみたいで嫌だと言っていた妻がいつの間にか「ラオ」と可愛い感じにして呼んでいました。

そして、その呼び方が妙にしっくりきました。

 

確かに「ラオ」です。まだ、3歳〜4歳のやんちゃなこの犬に、凛々しく堂々とした落ち着きのある「ラオウ」という名前は似合わなかったのです。

 

なるほどなるほど。

 

名前を呼んだときの響きのイメージが本人のイメージと合うかどうか。

そこが一番大事なんでしょう。

 

でもさ、人間の場合はそうはいかないよね。

子供が生まれたらすぐに名前をつけなければならない。

 

どんな顔になるのか、どんな性格になるのか、その子が本当に男になるのか女になるのか、まだよく分からないのに名前をつけなければならない。

 

というか、逆だね。

 

こんな人間になってほしいという願いを込めて、親は子供の命名をするんだよね。

 

例えば、優しい男になってほしいと願って「優(まさる)」、明るい女の子になってほしいと願って「明子(あきこ)」という感じで。

 

だけど、僕は小柄な「大輔(だいすけ)」君を知っている。

嘘ばかりついている「真(まこと)」君も知っている。

 

だとしたら、大きな声でよく喋る「静香(しずか)」さんだっているだろう。

夏が苦手な「夏子(なつこ)」さんだっているだろう。

 

名前は途中で一回見直したほうがいいのかもしれませんね。

自分の名前を気に入っている人もいれば、そうでない人もきっといるでしょう。

 

ちょっと待て。

自分はどうなのだろう。

 

活動名は「本島ヒデオ」ですが、本名は漢字で「本島英雄」と書きます。

 

「英雄」・・・

 

嫌な予感はしますが、一応意味を調べてみました。

 

ー 【英雄】<読み方>えいゆう ー

武勇や才知などがすぐれ、普通の人には出来ないような事柄を成し遂げる人。

Wikipediaより〜

 

・・・うちの親も、ずいぶんとプレッシャーのかかる名前をつけてくれました。

 

 

きっと、他の誰かがブログとかで書いているでしょう。

 

何の偉業も達成していない、凡人の「英雄(ひでお)」君を知っていますと。

 

やはり、名前は途中で一回見直したほうがいいと思う。

 

『はじまり はじまり』

『はじまり はじまり』

 

「絶望」そんなに怖がるな

これ以上落ちる事はない

 

「失敗」そんなに恐れるな

これ以上負ける事はない

 

「失望」そんなに嫌がるな

期待されなきゃ自由じゃないか

 

終わりのような言葉たち

それは本当に終わりだろうか

 

何かが終わる背中には

何かの始まり隠れてる

 

「ふりだし」そんなにがっかりするな

前しか向けなくなったのだから

 

 

サスティナブルな犬の散歩

“本当に難しいことは一歩踏み出すことよりも

いつも変わらぬスピードで歩き続けるということ”

 

っていう歌詞を10年くらい前に書いたのですが、今でもやはりそう思っています。

 

何事も一歩踏み出すということは勇気のいることだし、考えなければならない事がたくさんあると思いますが、気持ち的には新鮮で希望に満ち溢れており、情熱が体を突き動かしてくれて、なんとかなってしまう事が多いです。

 

だけど、問題はその後。

 

最初の一歩に気合を入れすぎてしまうと、それだけで満足してしまったり、上げすぎたモチベーションをキープする事が難しくなって面倒くさくなって、結果それで飽きてしまい、気づいたらやめているという尻すぼみパターンに陥ってしまう。

 

そうです。

 

それが、

 

僕です。

 

だけど、このブログを読んでいるあなた。

あなたもきっと、そうであるはず。

 

絶対そうであるはず。

 

絶対に!

 

・・・失礼しました。

 

 

とにかく物事を始めるときには “持続可能かどうか” をよく考えてから始めたほうがいいんじゃないのかな〜?という「SDGs」のイメージソングみたいな歌をすでに10年前に書いていたのです。

 

それはつまりどういう事なのか?

 

つまり、僕は天才ということです。

 

嘘です。

 

・・・失礼しました。

 

 

あぁ、ダメだ。

そんな話がしたかったんじゃない。

 

 

えーと、犬の散歩しています。

 

朝5時に起きています。

 

犬の散歩は朝晩1時間くらいするのが良いらしく、そうなると平日は朝5時から散歩に行かなければ仕事に間に合いません。

 

というわけで朝5時起床の生活が始まってそろそろ2ヶ月が経とうとしています。

 

早起き派の皆様にとっては「それがどうした」と言われてしまいそうな話ですが、僕にとってはとんでもない事なのです。

 

僕は元々、夜更かし派でしたので夜の12時くらいに寝て、朝は6時半過ぎに起きるという生活パターン、休日になってしまうと、夜1時過ぎに就寝、朝8時〜9時に起床という生活パターンでした。

 

そしてとにかく朝が弱い。なかなか起きられないのです。

2度寝、3度寝を繰り返し、ギリギリまで寝ていようとするグダグダな寝起きを毎朝繰り返していました。

 

それが、今では夜10時就寝、朝5時起床パターンの早起き派に見事仲間入りしてしまいました。

 

こんな僕ですから「こんな生活、どうせ続けられないだろう。」と最初から期待値は0でしたが、気づけば2ヶ月。

 

今や、朝5時に起きないとなんとなく調子が出ないような体にまでなってしまいました。

 

動物の持つ力というものは本当にすごいです。

「犬の散歩」というたった一つの目的で、人は生活習慣を変える事ができるのです。

 

 

そう思うと、「持続可能かどうか」というのは自分だけの問題ではないのかもしれない。

 

相手という存在があれば「持続せざるを得ない」状況になり、前向きでなくても持続できる事があるのだろう。

 

思えばそうだ。

 

ずっと続けている事がある。

毎日毎日続けている事がある。

 

続けたくて続けているのか、しょうがないから続けているのか。

 

分からない。

 

だけど今も続けている。

 

それは

 

「生きる」という事だ。

 

 

 

・・・失礼しました。

ラジオの話 2

えーと、一人で犬の散歩するときは、だいたいラジオを聴いてます。

 

という事で、ラジオに興味がある人しか楽しめないブログが続いています。

 

もはや、犬の話なんてほとんどしていませんが、あくまでもきっかけは犬の散歩です。

 

ちなみに、ラジオを聴き始めたきっかけは、20代前半の頃に車で一人旅に行った時でした。

いや、今思えば、「一人旅」なんていうカッコいいものでもなんでもない、ただお盆休みを利用して、4日〜5日くらい車でウロウロと横浜のほうまでドライブしただけでした。

 

当時の僕の車はCD/MDのオーディオを積んでましたので、移動中は音楽をたくさん聴こうとCDやらMDやらをたくさん持って行ったのです。

 

だけど、3日目か4日目くらいからなぜか急に寂しくなって、何とも言えない孤独感に襲われたのです。

 

移動中、どんなに好きな歌や音楽を聴いても気持ちが晴れなかった。

そこで、もういいやと思ってラジオに変えたのです。

当時はスマホも「radiko」もありませんでしたので、その地元の知らないラジオ局の知らない番組が車のスピーカーから流れました。もちろん喋っているパーソナリティも誰だか分かりません。

 

知らない人が喋っている知らないラジオ番組、途中から聴いたから内容だってよく分からない。

そんな音がスピーカーからずっと流れていたのです。

 

だけどね、なぜか心が落ち着いたのです。

寂しくなくなったのです。

 

おそらく僕は「人の声」が聞きたかったのだと思います。

 

もちろん歌だって「人の声」ですが、“歌声”と“喋り声”は全然違うのだと実感しました。

 

そこから、その一人旅の後半はずっとラジオを聴いていました。

全然知らない番組でも、知らないパーソナリティでも、内容がよく分からなくても、ずっと聴いていました。とにかく「喋り声」を聞いていると安心できたのです。

 

そして、帰ってきたその後もしばらく、車のBGMはラジオでした。

 

それが、僕がラジオを聴くようになったきっかけだったのです。

 

 

 

さて、9月に入り、日が落ちるのも早くなってきました。

仕事から帰ってきたら、もう真っ暗です。

 

そこから犬の散歩に出かけます。

 

真っ暗な田んぼ道はとてもとても寂しいですが、

ラジオが聴ければ大丈夫です。

ラジオの話

一人で犬の散歩するときは、だいたいラジオを聴いてます。

 

文明が発達してくれたおかげで、今はいつでもどこでもラジオが聴けます。

 

まずはこの時点で「スマートフォン」というものに感謝です。

 

そして、「radiko」というアプリにも感謝です。

 

この「radiko」のおかげで、今やいつでもどこでも、どの番組でも、好きな時間にラジオを聴く事ができるようになりました。

しかも、プレミアム会員になれば、自分が住んでいる県以外のラジオ局も聴けるのです。

もう、ラジオ好きにとっては魔法のようなアプリなのです。

 

ああ、すごい。

 

すごすぎる。

 

文明の力。

 

もしかしたら、

「周波数を合わせて、その日、その時間にラジオの前で雑音が混じったパーソナリティの声や音楽を聴くのがラジオの良いところなんだよ。」

なんて言われてしまうかもしれないし、その気持ちも良く分かるし、間違っていないと思いますが。

 

だけどね。やっぱりね。

そうも言ってられない今現代。

 

ああ、すごい。

 

すごくいい。

 

radiko」万歳。

 

 

だけど、ここで一つ言っておかなければならないことは、ものすごいラジオ好きみたいな事を言ってしまいましたが、別にものすごくたくさんのラジオ番組を聴いているわけでもないし、好きな番組にメールを送るわけでもありません。つまり、詳しいわけではありません。

地元群馬県の「FMぐんま」をいつも聴いているわけでもありません。

 

本当に好きな番組数本を毎週毎週こっそりと聴いているという感じです。

 

そう、これです。

 

「こっそり」と。

 

この感覚。

 

これがラジオの好きなところ。

 

これがテレビとは違うところ。

 

「こっそり」と。

 

これが、たまらない!

 

 

ダメだ。

話が長くなってしまうので、一旦終了。

 

続きはまた。